すでにご案内の通り、山研の利用開始が延期になり、ブログに書く上高地ネタも枯渇気味の(それでなくても、だいぶサボっていた)当さんけんブログです。
しかし、ペンは菌よりも強し。
今後、家で溜まりまくる鬱憤に比例して更新していく所存。
山研委員長(ちょっと前まで新米委員でしたが委員長になりました!)の裁量で笑、上高地や山研に関係ないことでも、書き散らかしていこうと思います。
さて、今回は、唐突に、ジョージ・マロリーについてです。
なぜか日本では、山に登る理由の問いの答えとして「そこに山があるから」と訳されて引用されることが多いですが、「(なぜエベレストに挑戦するのかと問われて)Because it’s there (エベレストがそこにあるから)」と言ったあのマロリー。
2020年は日本人エベレスト登頂50周年ということで、エベレスト関連を調べているうちに、この本を知りました。
私がマロリーについて知っていたのは、上述の有名な言葉と、エベレストで遭難死したということ。
しかし、マロリーが、なぜ世界中のクライマーから今もなお憧れられているその理由はわかっていませんでした。
さて、山を、そしてマロリーをよく知る人には、「Because it’s there」よりもこの言葉の方がしっくりくるのではないでしょうか。
“People ask me, 'What is the use of climbing Mount Everest?' and my answer must at once be, 'It is of no use.'There is not the slightest prospect of any gain whatsoever. Oh, we may learn a little about the behaviour of the human body at high altitudes, and possibly medical men may turn our observation to some account for the purposes of aviation. But otherwise nothing will come of it. We shall not bring back a single bit of gold or silver, not a gem, nor any coal or iron... If you cannot understand that there is something in man which responds to the challenge of this mountain and goes out to meet it, that the struggle is the struggle of life itself upward and forever upward, then you won't see why we go. What we get from this adventure is just sheer joy. And joy is, after all, the end of life. We do not live to eat and make money. We eat and make money to be able to live. That is what life means and what life is for.”
―George Mallory
「エベレスト登攀に何か「効用」があるのかと問われれば、私は「ない」と答えざるを得ない。(略)
人の心の中にあるこの山にチャレンジしたいという衝動や、人生を通じて高みへ、高みへともがくことを理解できないのであれば、なぜ我々が進むのかはわからないだろう。この冒険から得られるものはただの純粋な喜びであり、喜びとは、突き詰めれば、生きることの最終形でもある。
我々は食べるため、お金を稼ぐために生きているわけではない。私たちは生きるために食べて稼ぐのだ。それこそが人生が意味することであり、生きることの目的でもある。」
(参考訳です・・)
このマロリーの言葉は、山に自由に行けない今だからこそ、深く自分の中で響きました。
自分がどのように生きていきたいのかーーーこれまで山が教えてくれたヒントを、皮肉にも、この不自由な日々に思い出す最近の私です。
ああ、長くなってしまいました。本の内容については、次の記事で!
山研委員 わだこ記