前回、近代登山の黄金期に英国人が活躍したことをデータでお示ししました(こちら)。
それでは本題です。なぜ、英国人だったのでしょう?
(1) 歴史的背景 - 欧州における革命
消極的な理由ではありますが、英国を除く欧州諸国は、19世紀は政治的に不安定な時期であり、登山をしている場合ではなかったという点が挙げられます。
19世紀半ば、欧州では1848年革命、または「諸国民の春」に代表される革命が、各地で起きています。
*各国の例
スイス
1848年 ゾンダーブント戦争(スイス国内における内乱))
フランス
1832年 6月暴動
1848年 2月革命
その他、イタリア、ドイツ、オーストリアでも民衆による革命が起きています。
一方の英国はというと、1760年代に始まった産業革命の影響が1830年代にゆっくりと広がり、議会政治と民主主義が発達していった頃です。
(2) 社会的背景 - 産業革命による新しい階級の台頭
英国でいち早く起きた産業革命は、新しい社会層、つまり中流階級(middle class)を生み出しました。
これまでの貴族階級でもなく、労働階級でもない、新興ブルジョワジーたちは、経済的にはパワーを持っていたけれど、新興階級ゆえに社会的な地位は確立していませんでした。
そこで彼らは、自分たちの階級の存在意義やアイデンティティを示すために、未踏峰の山に向かったのです。
当時(1857-1876年)の英国山岳会会員の職業をみると、弁護士や実業家、学者が多いです。
参考:内訳図表
余談になりますが、英国では、この、いわゆるUpper Middle Class出身者が近代登山の担い手であったことが、英国山岳会がエリート主義で排他的な団体であることにつながっていると思われます。
英国山岳会と対照的に、その後発足したオーストリアやドイツ山岳会は、多くの会員を受け入れています。(英国山岳会は13000フィート(約4000m)以上の山に登っていないと入会資格がありませんでした。)
(3)精神的な側面- 英国の帝国主義
上記(2)に述べたように、新・中流層は、自分たちの社会的存在意義を示すことが登山のモチベーションの一つになりました。
ですから、英国人アルピニストたちは、当時の大英帝国の植民地主義に対抗するかのように、自分たちの名をあげるような登山、未踏峰を「制覇」するような登山を目指しました。
それを踏まえると、ヨーロッパ・アルプスの登頂記録や紀行文をみると、「Conquer (征服する、獲得する)」 やVictory(勝利)、Defeat(打ち負かす)といった勇ましい表現が多いことに気づきます。
私が敬愛してやまない槙有恒氏だったら、絶対に使わなかった言葉だと思います…。
(4) 物理的背景 - 交通の整備と余暇の創出
鉄道ができて、アプローチがしやすくなったことも実質的な要素として挙げられます。
英国から海を越えて欧州大陸に来ることが以前よりも容易になったわけです。
そして、産業革命による工業化は「余暇」という概念ももたらしました。経済的な余裕ができて、余暇にスポーツをして旅をする人が増え、そして純粋な楽しみとしての登山をする、という習慣が根付いたのです。
以上のように、英国人が近代登山で活躍した背景を挙げましたが、その背景には、スイス人やフランス人をはじめとしたガイドの存在は大きく、特筆すべきでしょう。
が、それは長くなるのでまたの機会に!
参考文献
"How the British created modern mountaineering" https://www.summitpost.org/how-the-british-created-modern-mountaineering/713630
"A short introduction to the history of mountain guiding" https://www.summitpost.org/a-short-introduction-to-the-history-of-mountain-guiding/915085
新米山研委員 わだこ記