2018年4月29日

FAX番号変更のお知らせ

現在FAXで使用している番号を5月末で廃止し、6月1日より電話番号と共用いたします。
ご迷惑をお掛けしますが、登録の変更をお願いいたします。

電話・FAX共通 0263-95-2533


山研委員会

2018年4月28日

徳本峠越えとウェストン祭のお誘い


新入会員の皆さま

JACの仲間とウォルター・ウェストンの足跡をたどり、山研の宿泊を体験してみませんか?

新緑の島々谷から残雪の徳本峠越えて上高地に入ります。二輪草のお花畑や山芍薬を見ることができます。徳本峠からの明神岳も絶品です。
上高地では山研に1泊し、翌日「碑前祭」に参加します。

新入会員の仲間づくりを手助けする企画ですが、新入会員以外の会員も参加できます。







日程: 2018年6月2日(土)~6月3日(日)
費用: 12,000円(1泊2食、午餐会会費、記念品代、傷害保険料)
    ※5月19日以降のキャンセルは、実費3,000円を申し受けます。
定員: 20名(29年度入会の会員、および本会会員の希望者)
申込: jac-sanken@jac.or.jp 5月12日(土)まで。会報「山」4月号参照。 
※現地集合・解散
※申込者に詳細を送ります。    



スケジュール
6月2日(土) 「徳本峠越え」
◆集合     午前5時30分 松本電鉄バス「島々宿」バス停近くの集会場
        山研委員会受付で受付後、朝食(各自用意)、登山準備を済ませてください。
       (注)ウェストン祭参加記念品(手拭いとブローチ)は山研でお渡しします。
◆出発式    午前6時00分
        ・式典後、山研隊のリーダーおよび各担当者紹介。
        ・登山開始。昼食も各自用意してください。
◆山研到着   午後5時00分頃予定。 部屋割り後、交代で入浴。
◆夕食・懇親会 午後6時30分~9時00分(食後に入浴も可能です)
◆消灯・就寝  午後10時00分

6月3日(日) 「第72回ウェストン祭」と「午餐会」
◆朝食     午前7時00分~8時00分
                      ・食後は全員で寝具の片付け、部屋の清掃をお願いします。
◆集合     午前9時30分 山研玄関前
                       ・記念撮影後碑前祭会場に移動。
◆碑前祭    午前10時00分~11時00分
◆午餐会    午後12時00分~午後1時30分(バス時間などの途中退席も可)

◎装備   無雪期の一般登山用具
                念のためスパッツ、ストック、軽アイゼンの用意をお勧めします。
◎参考   1)首都圏から新宿発「さわやか信州号」が便利です。
                2)前日に宿泊の場合は、各自で手配願います。松本電鉄新島々駅前に旅館があります。
                3)早朝につき「新島々駅」から「島々宿」への路線バスはありません。
       各自タクシーを手配頂くか、徒歩(約3.6km、1時間前後)でお越しください。
     ※交通、前日の宿泊は早めの手配をお勧めします。   

第50回上高地開山祭が開催されました(4月27日)/ The 50th Kamikochi Kaizansai on Apr 27, 2018

Update on May 9, 2018: I added summary of English translation (not always correspondent with original)

雪どけが早く、ニリンソウの開花情報もチラホラと聞こえてくる上高地で
今年も開山祭が賑やかに開かれました。
The 50th Kamikochi Kaizansai (開山祭) which is a mountain opening festival took place on April 27th.



カメラを片手に河童橋へとやってきた時には既にたくさんの人人人・・・
かき分けながらやっとのことで橋を渡ってアルプホルンの演奏を撮影。
When I arrived at Kappabashi-Bridge with a camera in hand, there were already so many people…
I finally could took a photo of Lederhosen-clad Japanese Alpen horn players.




横尾山荘ご主人の山田さん(北アルプス山小屋友交会会長)は流暢な英語でのご挨拶。
海外からのお客様に対するおもてなしの心が伝わりました。

Mr. Yamada, owner of Yokoo Hut made a speech in English to be welcome guests from overseas.




撮影スポットを求めてウロウロしてみるものの、
腕をいっぱいに伸ばしても撮れるのは皆さんの頭ばかり・・・
報道によると3600人もの方がいらしたそうです。

It was so crowded with people so it was tough to take photos...According to news reports, 3,600 people were there.



ようやく近くで撮れました。
神主さんの祝詞がのびやかに響きます。
The priests chant.


小梨平で樽酒を振る舞う安井理事。山岳ガイドの石塚さんと。
Mr. Yasui,  Board member of JAC offers people Sake with Mr. Ishizuka, mountain guide.
  

             
             開山祭50回を記念してバッジもいつもより立派です。
Commemorative badge to celebrate the 50th Kaizan-sai



開山祭の後、薄曇りの空をバックに穂高連峰と梓川。
化粧柳は枝先にポヤポヤと淡い緑の葉と花がつき始めています。


                    
                    雪型の「志」もバッチリ出ています。


明けて今朝の山研テラスの様子です。
まだ葉が繁っていないので、たっぷりと朝陽が当たってあたたかです。
ゴールデンウィーク中、岳人たちは(やっぱり)高いところへ上がってしまうらしく、
山研は意外と静かです。
みなさんどうぞご利用くださいませ!

管理人 元川
(Translated by Kaoru)

2018年4月25日

開所しました!! 2018年開所レポート

山岳研究所は本日4月25日に開所いたしました。
今年も、皆様のお越しをお待ちしております。

さて、今回のブログでは、開所作業の模様を新米目線でレポートしようと思います。

開所作業には大きく分けて、①建物周り、および②水力発電関連の2つがあります。

まずは、建物。一冬の間山研を守ってくれていた雪囲いを外していきます。はめている板も、土嚢も重くて、窓を開けるのも見た目以上に重労働なんです・・・皆様お疲れ様です!

特別ゲストのYPさん!
高い窓も、ひょひょいと華麗に拭いてくださいました。





そんな中、トラブル発生!山研の水をためているタンクに亀裂が入っていました。
ただでさえ古いこのタンク・・。今年は雪は多くなかったものの寒さが厳しかったようで耐えられなかったのでしょう、とのこと。

水が使えなかったら大変!!と私一人でオロオロしていましたが、高橋先輩や安井理事他、みなさんが職人芸でバチッと補修してくださいました。ほっ。
タンクを覗き込む柴山委員長


次に、水力発電です。
山研では、水力発電の研究をしていますが、その水は、建物の裏を20分くらい登ったところからひいています。

私は今回上に行かなかったので写真がないのですが、水源からホースをつないでドラムに流し込んで、また管をつないで、と、それも、ちべた~い雪解け水にてを突っ込んで!中島みゆきの曲を流したくなるくらいの過酷な作業です。

山研裏の発電小屋


神奈川工科大学の杉村先生、そして研究室の学生さん、柴山委員長や先輩方、お疲れ様でした!
水力発電は私も興味津々ですので、委員の先輩方に教えていただいてからブログ記事にしてみようと思っています。


で、上から引いた水を発電設備に流していくわけですが・・・ここでまた事件発生。凍結でバルブが割れてしまいました。
こんな立派な金属が割れちゃうってどれだけの寒さだったのでしょう・・ ((;゜Д゜) ?!

 
割れとるがな・・

と思っていたら、窓から足が飛び出ている・・・。
オヨ?
オヨヨヨヨ?!


古野委員がえみこ委員のビレイで屋根に登攀して気象観測機器の修繕をされた後、窓から戻っているところでした。

 各委員が専門性や能力を活かして、山研は運営・維持されているのですね!


というわけで・・・山研委員が一丸となり、開所作業は完了したのでした。
(今年は雪が少なかったので、そのぶん例年に比べて作業が順調に進行したことも、合わせてご報告いたします。)


お天気がよかったので、お布団も干しましたよ〜。

ふかふかのお布団で、皆様がいらっしゃるのをお待ちしています♪

新米山研委員 わだこ記

2018年4月22日

上高地の門番☆六百山

さんけん開所前ですが、20日に六百山に行ってきました。
河童橋からそそり立つあの山です。


中畠沢にはクマの足跡がいっぱい。親子かな??

落石と死んでる灌木が多いところが注意ポイントです。
山頂は穂高連峰、焼岳、乗鞍岳、上高地が見渡せる絶好のロケーションです。


帰りは雪がズボズボで何度も足をとられました。
日帰りでしたが、充実した1日をめいいっぱい楽しんできました。


さて、さんけんは本日、開所作業を終了し、25日よりご利用いただくことができます。
そして27日は楽しい開山祭(去年の開山祭の様子)!!
上高地からこの山へ、あの山へ。さんけんは会員の皆さんの活発な山登りを応援します!
今シーズンもどうぞよろしくお願いいたします。

見習い山研委員 山下

2018年4月20日

今日の上高地

今シーズンもキラキラです!!
17日からバスも運行が始まりました。
上高地さんけんでお会いしましょう!
明日は開所作業です。
山研委員 山下

2018年4月3日

殺生ヒュッテと小林喜作

以前、芥川龍之介の槍ヶ岳登山について書きましたが、今回のブログでは、山小屋つながりということで、槍ヶ岳の殺生ヒュッテを取り上げたいと思います。

何はさておき、槍ケ岳といえば、登山を始めた人がまずは憧れる山ではないでしょうか。かくいう私は、20165月に山岳会に入会し、槍ヶ岳登頂を目標に師匠のN沢さんの指導のもとでがんばってきました。その年の9月に頂に立った時の感動は私の登山の原点であり、今でも大切な思い出です。そして、その際、私たちが泊まったのが、この殺生ヒュッテなのです。
殺生ヒュッテを見下ろす

槍ヶ岳の肩にある槍ヶ岳山荘(650人収容可能)に比べると、その徒歩で30分ほど下方にある殺生ヒュッテは槍ヶ岳に朝一で登ろうとすると少し不利ですが、比較的空いていて穴場なんです!

さてさて、この殺生ヒュッテをつくったのが、「喜作新道」*をつくったことでも知られる小林喜作です。1922年(大正11)に営業を開始しました(当時は殺生小屋)。
*表銀座の一部で東鎌尾根からの道。それまで4−5日かかった中房温泉から槍ヶ岳間を1日で抜けることを可能にした。



ここで、槍ヶ岳の歴史を少し整理してみましょう。

1828年(文政11) 播隆上人が初めて槍ヶ岳に登頂
1878年(明治11)  ウィリアム・ゴーランド
1892年(明治25) ウォルター・ウェストン
1902年(明治35) 小島烏水
1907年(明治42)    芥川龍之介
1922年(大正11 殺生小屋営業開始
1926年(大正15)に 穂苅三寿雄が槍ヶ岳山荘を建造

上記のように、芥川龍之介が槍ヶ岳を訪れた当時は、まだ営業小屋はありませんでした。彼の記述や友人の証言によると、案内役の上條嘉代吉(嘉門次の長男)とともに、播隆上人が使ったという岩小屋(坊主岩小屋)に泊まったのではないかと考えられています。
見たことのある方はご存知のとおり、岩「小屋」というより、岩の穴ぐらですよね・・・。 

小島烏水が槍ヶ岳を「山水無尽蔵」で紹介したあと、多くの日本人が槍ヶ岳を目指すようになったということですが、営業小屋ができたことも大きかったのではないかと考えます。言い換えれば、最初に小屋と登山道をつくった喜作は先見の明と商才があったといえましょう。

さて、小林喜作というのは、どういう人だったのでしょう。
喜作は、北アルプスで活躍する腕利きのマタギで、カモシカや熊の毛皮を売って生活していました。喜作新道も、元々はカモシカなどの足跡が残る獣道を彼が整備して人が通れるようにした、ということですが、山の動物の生態を知り尽くしている彼だからできたことでしょう。
 なお、信州では狩猟することを「殺生する」というので、小屋の名前もそれにちなんでいるそうです。

なお、 上記の話は、山本茂実著「喜作新道」に詳しいですので、興味がある方はぜひご一読ください。

居心地は別に良くないです・・・
 さて、私が2017年に殺生ヒュッテを再訪した際「喜作新道を読んできました(^o^)/ 」と、小屋のマスターに伝えたところ、喜んでくださって、喜作が殺生小屋を建てている間に寝泊まりしていたという石室に案内してくださいました。テント場からちょろっといったところにあります。

坊主の岩小屋と同じような見た目・・・天井の圧迫感も半端ないし、半泣きになってすぐ出たかったのですが、マスターが「なかなか居心地がいいでしょう?」とニコニコとおっしゃるので、全力で笑顔を作って写真を撮っていただきました・・こんなところで寝泊りなんて(T^T)。芥川龍之介って写真で見るとひ弱そうな印象ですが(失礼)、なかなかのタフガイだったんだなぁ・・・。

ところで、中房温泉-常念-東鎌尾根を経て槍ヶ岳を目指すルートを「表銀座」と呼びますよね。一般には、多くの人でにぎわっているから「銀座」とついたと考えられているようですが、山本茂実は、「喜作が殺生小屋で夕食をとってから、ひょいひょいと銀座を歩くように中房温泉に下って夜に一杯飲んだから「銀座」と呼ばれるようになった」と書いています。まだ表銀座を歩いたことがない私ではありますが・・・、こちらのの説を強く支持したいと思います。喜作のぶっ飛んだ健脚ぶりを現代にも伝えてくれていて、ロマンがあるではないですか。山男に惚れっぽい私なのであります。



新米山研委員わだこ記