2019年6月17日

新緑の上高地 写真撮影の滞在

先月末、山研をご利用いただきました神奈川県の奥田さんより素敵なお写真を送っていただきました。
ご夫婦でゆっくりと2泊。上高地での写真撮影を楽しまれていらっしゃいました。
いつも適当シャッターの見習い山研委員は天気が良くて、何でもキレイに写る!と大喜びでしたが、一般的な写真しか撮れないと嘆かれていらっしゃいました。写真って奥が深いんですね。それでもこんなに素敵!!動いている感じしませんか?
また、日々変わる上高地の風景を撮りにきてください。ありがとうございました。




















見習い山研委員 山下

2019年6月11日

「槍ヶ岳とともに  穂苅家三代と山荘物語」

最近読んだ本をご紹介します。

「槍ヶ岳とともに  穂苅家三代と山荘物語」
昨年のウエストン祭で講演をしてくださった菊地俊朗氏の著作です。
今年の夏は槍ヶ岳に行こう!


槍ヶ岳山荘を作った穂苅三寿雄氏、二代・貞雄氏、三代目・康治氏を通して槍ヶ岳や北アルプスの小屋や登山事情を描いています。

三寿雄氏は1917(大正6)年に、北アルプス南部で初めての営業小屋である槍沢小屋を作りました。そして1926年には槍ヶ岳肩ノ小屋を建設しました。

信濃毎日新聞の統計によれば、1919(大正6)年の槍ヶ岳の登山者は年間で425人。
しかし、その2年後の殺生小屋の開業で槍ヶ岳登山者は急増、そして肩ノ小屋の登場でさらに増えることになります。

時代はめぐり、戦後、学生や若者を中心とした厳しい登山を目指す時代を経て、中高年層を中心とした現在に続く登山ブームを迎えます。いつの時代も、山小屋の存在が登山を支えていることがよくわかります。

そして山小屋の運営も、荷揚げが歩荷からヘリコプターの活用へ、トイレや食事も時代とともに変遷していきました。

小屋の登場で、槍ヶ岳を目指すルートも様変わりしました。
中房温泉から東鎌尾根、小林喜作が作った喜作新道を経るルートがメジャーだったものの、今では全体の1割程度と推定されます。上高地から槍沢ルートが一番多いのではないかと思いますが、その結果それまであまり見向きされなかった槍沢小屋(現在の槍沢ロッジ)が重要な役割を果たすようになりました。

穂苅家三代の歴史は大正、昭和、平成の日本の登山史の縮図でもあります。

本書では他にも、
・山小屋の舞台裏のこと(小屋での仕事だけではなく、荷揚げ(昔は歩荷、1970年台頃からヘリ)から、食材の発注や経理まで、果てしない仕事量です)
・槍の穂先の歴史(現在の祠は何代目?)
・槍に鎖をかけてくれたのは誰?!

などなど、槍ヶ岳にまつわる情報が盛りだくさんです。

また、三寿雄氏、貞雄氏、康治氏の人となりや、小屋を支えてきた人たちにも触れています。
まるでファミリーヒストリーや情熱大陸を見ているかのような、熱い人間ドラマです。

槍ヶ岳に登ったことがある人にはもちろん、これから行く予定の方にもオススメの本です。
槍ヶ岳を100倍楽しめるのではないかとわたくしは思います!


山研委員・わだこ記

2019年6月6日

徳本峠を越えずして上高地を語るなかれ

さる61日、快晴の空の下、今年も徳本峠越え・ウエストン祭が開催されました。
参加者の皆様・山研委員スタッフ合計25名で、徳本峠を歩いてきました。

5時半に新島々にある安曇支所に集合後、受付やら体操の後、集合写真撮影をしてから出発です。

本日10時間行動の予定

朝イチはまだみんな元気いっぱい笑顔いっぱい

沢沿いの気持ちがいい道を歩き、お花に目を細めながら、ひたすら歩きます。
ヤマシャクヤクだぁ!

それから沢を離れてしばらく行くと、本日の最大の難所(?)と言われる、二十四曲の始まりです。一気に峠のてっぺんまで登ります。地味に辛いので、自然とみんなの口数も少なくなります笑。ここを越えれば峠小屋の豚汁が待っている~!

途中のちから水に元気をもらいます。
ちべたくて美味しい〜お水



ついたー!




さてさて、峠からやれやれ・・と下りてくると、明神にたどり着きます。明神館が見えると、ホッとします・・。ウォルター・ウエストンや小島烏水などの岳人たちと同じように感じてたのかしらん?(または峠越えなんてちょろかったか😂)

今でこそ上高地の中心地としては河童橋周辺が賑わっていますが、峠を歩いて越えてくると、明神が上高地の本当の中心というか玄関であることを体感できます。

翌日は、例年通りウエストン碑の前でウエストン祭と信濃支部主催の午餐会が催されました。

(実は私はちょうどその時間に焼岳に登っていてウエストン祭には参加できなかったのですが、レポートブログを発見
五千尺ホテルのブログ
ルミエスタホテルのブログ  

今年もみんなで元気に上高地に集まれたことに感謝感謝です。
会場の温泉ホテルの前に、全員集合


最後になりましたが、毎年のウエストン祭は、日本山岳会信濃支部の皆様のおかげで成り立っています。
徳本峠越えはウエストンの時代、日本で登山が始まった頃に思いを馳せながら、今年も和気藹々と峠を歩いたことに感謝をして、今回のブログを終えたいと思います。ご一緒くださった皆様、ありがとうございました&お疲れ様でした!


山研委員 わだこ記

2019年6月2日

登山計画書の提出は必須です!

長野県登山安全条例で登山計画書の提出が必要です。
施行から3年経ちますので、会員の皆さんはもうご存じのことと思いますが、今一度、心に留めていただけますようお願いいたします。

上高地周辺ですと、「梓川より上」、「横尾より奥」に行かれる場合は必ず登山計画書を提出してくください。
詳しくはこちらのリンクを参照願います。⇒ 長野県登山安全条例
登山口のポストに、『Compass』や『ながの電子申請』等のWEBで、郵送、FAX、コンビニエンスストアでと提出の選択肢はたくさんあります。
山研利用の際は山研にもコピーを一部提出いただけると幸いです。

上高地バスターミナル

そして何より、自分の体力、技術、経験、天候に無理のない山行を計画していただきますようお願いいたします。

残雪シーズンが終わり、梅雨が明けると本格的な夏山シーズンです。会員の皆さんが安全で楽しい、そして息の長い登山ライフをおくられることを山研は全力で応援します!


山研委員 山下