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2018年7月6日

ウエストンと嘉門次 / Walter Weston and Kamonji Kamijo

(Japanese original follows English summary)
Walter Weston and Kamonji Kamijo Walter Weston is very famous and referred as a father of modern mountaineering in Japan.We can see his relief in Kamikochi, near Taisho pond in memory of his contribution. So here is the question I came up to my mind: what did he do actually?A book titled “Walter Weston and Kamonji Kamijo” by Ms. Hisae Kamijo, a wife of Kamonji’s great-grandson’s tells me the answer. 
During his stay in Japan, Weston was very enthusiastic for climbing, and has been to a lot of mountains, mainly in North/South Japan Alps, sometimes with his wife.
He became the first climber to have reached some summit of Japanese mountains.

Before the Weston’s era, mountains had been a place for living or symbol of religion. He brought us an idea to climb mountains as a pleasure.

The book also talks about Kamijo, Kamonji, a hunter, and mountain guide who lived in Kamikochi.
It’s hard for me to explain who/how he was in English, but I must say he is the key player of “Golden Age” of Kamikochi.
Kamonji guided Weston to Hotaka, etc. and built a friendship with Weston.


Walter Weston was born in Darby in 1861 and had stayed in Japan three times in 1888-18941902-1905 and 1911-1915 as a missionary.

Before/Around when Weston came to Japan, in late nineteenth century, Ernesto Satow, British diplomat, published “A Handbook for Travellers in Central and Northern Japan” and some foreigners started to climb mountains in Japan.

ウォルター・ウエストンーーー。
「日本の近代登山の父」として、あまりにも有名な人ではありますが、どんな人だったのか、ご存知でない方も多いのではないでしょうか。
私も槍・穂高に登って日本アルプスを海外に紹介した人、というざっくりした認識しかありませんでした。
なぜ、このイギリス人のレリーフを上高地に飾り、毎年彼の名前を冠するイベント(ウエストン祭)を行うのか―――。

本日は、先日のウエストン祭にて、菊地俊朗氏が記念講演にてご紹介くださった「ウォルター・ウエストンと上條嘉門次」について、書きたいと思います。
著者は、上條久枝氏。言わずと知れた嘉門次小屋4代目女将さんです。


本書は、ウエストンの著書を通じて彼の足跡を丁寧にたどり、当時の歴史背景と登山事情を踏まえて、彼の功績や人となりをまとめており、私の疑問に答えてくれています。

さて、ウォルターウエストンは、1861年、イギリスのダービーに生まれ、宣教師として日本に3度滞在しました。(1888-18941902-19051911-1915年)

当時の日本では、アーネスト・サトウが「日本旅行案内」を発表して、いわゆる「お雇い外国人」が日本国内を旅したり登山を始めた頃でした。
イザべラ・バードの「日本奥地紀行」もすでに出版されています(1880年)。

ウエストンはヨーロッパでもモンブランに登頂するなどのクライマーで、日本でも山に登ることを楽しみにしていたようです。
滞在中は、「お、お仕事の方は大丈夫ですか?」と心配になるくらい、飛騨山脈を中心に、せっせと山に登り、旅をしました。
1回目の来日時には槍ヶ岳や穂高、富士山や針ノ木峠越え、2回目は南アルプスを中心に、3回目は夫人とともに奥穂高岳南稜ルートや劔岳、などなどなどなど。ウエストンが初登頂した日本の山・ルートはたくさんあります。

最初の来日から一度帰国した際は、「MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS」(日本アルプスの登山と探検)を英国で出版し、大きな話題を呼びました。

今の登山と違い、交通も登山道も装備も整っていないし、なんなら地図もありません(嘉門次が、ウエストンの直前に測量士を連れて前穂に登っています)
ウエストンはある程度日本語ができたようですが、それでも、不自由は多かったはず。彼の積極的な山行は、冒険的な側面も多分にあったことが感じとれます。

ウエストンは、「趣味/楽しみとしてrecreational」の登山を日本で始めた人、とよく説明されます。それ以前は、日本人にとっての山とは、信仰の対象、または生活の場でした。
たとえば、印象に残ったのが笠ヶ岳登山のくだり。彼は、槍ヶ岳から笠ヶ岳をみてその形に心惹かれ、どうしても登りたくなったようです。(播隆上人が笠から槍を見たのとちょうど逆ですね。)
地元の人にガイドを頼むと、「みんな雨乞いに出払っている」、「外国人が山に入るとたたられる」と何度も断られます。
あきらめきれないウエストンは翌年もトライして、再度地元の人と一悶着した後、3年越しに執念の登頂を果たします。
(そして、その「真相」については、ぜひ本書をご一読ください。)


そして、本書のもう一人の主役である、上高地が生んだスター、上條嘉門次。知れば知るほどに本当にかっこいいです・・・♡
嘉門次が現代に生きていたら、どんな登山をしていただろう?と想像が膨らみます。
嘉門次についての出版物はあまり多くないと思いますので、その意味でも本書は貴重な資料なのではないでしょうか。
嘉門次とウエストンという二人の山男の間の、国境を超えた友情についても描かれていますが、うるっとするものがありました。 

オススメの一冊です!

山研新米委員・わだこ記




2 件のコメント:

  1. はじめまして、
    さて、山岳の部位名表記ですが、奥穂高岳南陵は誤りで南稜が正解です。
    「陵」は、天子の墳墓を意味する漢字で、日本では天皇のお墓を指し、「みささぎ」と言います。

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    1. ご指摘ありがとうございます!あれま・・・天皇のお墓なんですね。存じませんでした。勉強になります。漢字を修正しました。

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