日本山岳会・小林会長の挨拶に始まり、
安曇小学校の児童の皆さんが、恒例の「ウエストンの歌」「エーデルワイス」(リコーダー演奏)などを発表してくれました。澄んだ声が上高地に響きます。私がウエストン祭で一番楽しみにしている時間です。
今年の記念講演は、山岳ジャーナリストの菊地俊朗氏による「地元目線で見た上高地」。
「槍ヶ岳とともに 穂苅家三代と山荘物語」他、著書が多数あり、上高地の歴史や事情に精通していらっしゃいます。テーマの通り、江戸時代から現代の上高地が抱える問題など、多面的にお話しくださいました。
ところで、ウエストン祭に参加したら、ぜひ記念品を買いましょう!
手ぬぐいと木彫りのお花のブローチのセット(1000円)になっていて、会場や、朝は河童橋の近くで信濃支部のみなさんが販売してくださっています。
今年の手ぬぐいは、穂高。かっこいいデザインに一目惚れです。
木彫りのブローチも。一つ一つ手作りなんですって!今年のお花はトモエソウです。先輩の真似っこをして帽子につけてみました。とーーーってもお気に入り。帽子に黄色が映えるでしょう??
こちらが、式典会場にあるウエストンのレリーフ。
この記念品とともにいただいた紙にウエストン祭の起こりの説明が書いてありましたので、少しご紹介したいと思います。
1937年8月、最初のレリーフが、ウエストンの功績を讃えて日本山岳会の発案で取り付けられます。
しかし、その僅か5年後の1942年、太平洋戦争のさなかで敵対国イギリスの登山家の像は、軍の圧力により取り外しを余儀なくされました。12月の雪の中取り外され、その後は当時虎ノ門にあった山岳会ルームに保管されていましたが、1945年の東京大空襲で一部焼損してしまいました。
なんだか、当たり前のように存在しているので、いつもレリーフを素通りしてしまっていましたが・・・。受難の歴史があったのですね。
上高地の厳しい自然に耐え、いつも山へ向かう私たちを見守ってくれているウエストン。
そのレリーフが上高地に戻ったのは終戦後の1947年6月14日のことです。
そして、この復旧式が現在のウエストン祭の起こりなのだそうです。この時から、現在に到るまで毎年恒例となった記念講演が始まったとのこと。
現在の形で徳本峠越えに続き6月の第1日曜日の10時に碑前祭が行われるように定まったのは、奇しくもウエストン生誕からちょうど100年がたった1961年(第15回)のことでした。
なお、ここではかなりざっくりとご紹介しましたが、日本山岳会及び信濃支部のあゆみと重なる部分も多くあり大変興味深い内容です。ご関心のある方は、ぜひ信濃支部へお問い合わせいただければと思います。
新米山研委員 わだこ記
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