2018年2月13日

芥川君と槍ヶ岳、と上高地

だいぶ前になりますが、こんな本をいただきました。

「芥川龍之介の槍ヶ岳登山と河童橋」

芥川龍之介の槍ヶ岳登山100周年を記念して出版されたものです。

当時17才だった龍之介君が1909(明治42)年に友人たちと槍ヶ岳に登ったときの様子を、彼の「槍ヶ岳に登った記」や、未所収の手記、友人の証言、その他史実を掛け合わせて分析し、推測しています。

龍之介君はどうして槍ヶ岳に登りたいと思い友人たちを誘ったのか、友人一行はどんな行程でたどりついたのか。そして、当時の登山事情とは。。。?

高地といえば、のあの人やあの人も、そしてあの人も登場します!
大変興味深い史料なのであります。

小難しいことはさておき・・、世界に誇る文豪の芥川龍之介も、若き日には友人と冗談を言いながら山に登り、その感動を手記で爆発させている。その様子はほほ笑ましく、そして輝かしい青春を山で過ごしていました。


さて、槍ヶ岳登山が芥川龍之介に大きな影響を与えていることは想像に難くありません。

あまりにも有名な「河童」を書いたのは、その18年後、35才のときで、生命をたった年でもあります。
今この小説を改めて読み返すと、冒頭の文章中に「僕は前に穂高山は勿論、槍ヶ岳にも登つてゐましたから」とありますが、私はこの部分が、もうたまらなく好きです。彼の年譜を見ると、思い悩むことの多かった時期と思われますが、どんな気持ちでこの表現を加えたのでしょう。友人たちと冒険(当時の事情を考えれば、槍ヶ岳登山はまさに冒険だったでしょう)をした若き日々を思い起こしていたのではないか、それだけ槍ヶ岳への思いが強かったのではないか、と想像は止まりません。

そもそも、「河童」を書きたいのであれば、舞台は東北(小説の中には柳田國男の名前も出てきますよね)でも、なんなら、あの河童のユーモアとシニカルな世界を描くなら特定の地名を出す必要さえない訳で・・全て私の素人考えですが。
それでも、芥川龍之介が上高地を舞台に選んだことに、私は彼の槍ヶ岳や穂高への想いを感じるのです。

この本は非売品で入手が難しいようですが、読んでみたいと思った方は、ぜひ来シーズンの山研に遊びにきてくださいね。山研の1階においておきます♪

新米山研委員・わだこ記