投稿募集

公益社団法人日本山岳会 上高地山岳研究所です。
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2018年9月7日

山研の塗装工事が始まりました

秋風が吹き始めた上高地から
山研の塗装工事の様子をお知らせいたします。

昨日(9月6日)から今日にかけては、
足場を組んで幕が張られました。











今日は雨が降っていますが、屋根や壁の高圧洗浄が同時に進められています。
雨の日の方が洗浄しやすいのだそうです。
(私が雨の日にカッパを着てマイカー洗車をするのと多分同じ理由です)

塗装は来週の月曜日から始まる予定です。




山研の玄関はこのように出入りできるようになっています。
足元に気をつけてお入りください。





窓からの風景も遮られてしまっていますが、
建物内部はいつも通りにお使いいただけます。
少々ご不自由をおかけしますが
9月末には工事終了予定ですので、ご協力をお願いいたします。
ご利用に際して気になることなどございましたら
山研まで、どうぞご遠慮なくお問い合わせください。
0263−95−2533
(元川)


2018年9月6日

(お知らせ)山岳研究所の外壁と屋根の塗装工事のお知らせ

山岳研究所の建造物維持のため、以下の日程で塗装工事を行います。

山研をご利用されるみなさまには期間中ご不自由をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いします。

工事期間: 96日から約1ヶ月

日本山岳会 山岳研究所運営委員会一同

2018年8月19日

近代登山を「発明」したのは、なぜ英国人だったのか (2) 考察編

前回、近代登山の黄金期に英国人が活躍したことをデータでお示ししました(こちら)。
それでは本題です。なぜ、英国人だったのでしょう?
  

(1) 歴史的背景 - 欧州における革命 

消極的な理由ではありますが、英国を除く欧州諸国は、19世紀は政治的に不安定な時期であり、登山をしている場合ではなかったという点が挙げられます。

19世紀半ば、欧州では1848年革命、または「諸国民の春」に代表される革命が、各地で起きています。

*各国の例 
スイス
1848年 ゾンダーブント戦争(スイス国内における内乱))

フランス
1832年 6月暴動
1848年 2月革命 

その他、イタリア、ドイツ、オーストリアでも民衆による革命が起きています。

一方の英国はというと、1760年代に始まった産業革命の影響が1830年代にゆっくりと広がり、議会政治と民主主義が発達していった頃です。

(2) 社会的背景 産業革命による新しい階級の台頭


英国でいち早く起きた産業革命は、新しい社会層、つまり中流階級(middle class)を生み出しました。
これまでの貴族階級でもなく、労働階級でもない、新興ブルジョワジーたちは、経済的にはパワーを持っていたけれど、新興階級ゆえに社会的な地位は確立していませんでした。

そこで彼らは、自分たちの階級の存在意義やアイデンティティを示すために、未踏峰の山に向かったのです。

当時(1857-1876年)の英国山岳会会員の職業をみると、弁護士や実業家、学者が多いです。

参考:内訳図表


余談になりますが、英国では、この、いわゆるUpper Middle Class出身者が近代登山の担い手であったことが、英国山岳会がエリート主義で排他的な団体であることにつながっていると思われます。
英国山岳会と対照的に、その後発足したオーストリアやドイツ山岳会は、多くの会員を受け入れています。(英国山岳会は13000フィート(約4000m)以上の山に登っていないと入会資格がありませんでした。)


(3)精神的な側面- 英国の帝国主義


上記(2)に述べたように、新・中流層は、自分たちの社会的存在意義を示すことが登山のモチベーションの一つになりました。
ですから、英国人アルピニストたちは、当時の大英帝国の植民地主義に対抗するかのように、自分たちの名をあげるような登山、未踏峰を「制覇」するような登山を目指しました。

それを踏まえると、ヨーロッパ・アルプスの登頂記録や紀行文をみると、「Conquer (征服する、獲得する)」 やVictory(勝利)、Defeat(打ち負かす)といった勇ましい表現が多いことに気づきます。

私が敬愛してやまない槙有恒氏だったら、絶対に使わなかった言葉だと思います


(4) 物理的背景 - 交通の整備と余暇の創出


鉄道ができて、アプローチがしやすくなったことも実質的な要素として挙げられます。
英国から海を越えて欧州大陸に来ることが以前よりも容易になったわけです。

そして、産業革命による工業化は「余暇」という概念ももたらしました。経済的な余裕ができて、余暇にスポーツをして旅をする人が増え、そして純粋な楽しみとしての登山をする、という習慣が根付いたのです。

以上のように、英国人が近代登山で活躍した背景を挙げましたが、その背景には、スイス人やフランス人をはじめとしたガイドの存在は大きく、特筆すべきでしょう。
が、それは長くなるのでまたの機会に!


参考文献


新米山研委員 わだこ記


2018年8月14日

近代登山を「発明」したのは、なぜ英国人だったのか (1) - データ編

以前ご紹介した「ウォルター・ウエストンと上條嘉門次」を読んでいた過程で疑問がわきました。
19世紀後半の近代登山の黎明期に英国人の活躍が目立つのは、なぜなのでしょう?なぜ、地元のスイスやオーストリアの人ではなかったのでしょう。

全く関係ないですが、飯豊に行きました

かの島国はとても平らで、最高峰は1,344m(Ben Navis)です。
近代登山の黄金期をつくった人たちは、たいそうFlatな島から海を越えてヨーロッパアルプスを目指したことになります。


*本ポストは、下記の記事を参照しています。
参考文献

***著者に翻訳・引用の許可を得ています。


英国人の活躍

実際に、英国人が近代登山にどのように関わったのか、数字で見てみましょう。

データその1
1786-1878年の間のモンブラン登山: 
1位 英国 448回、57.4
2位 フランス 132回、16.9%
3位 アメリカ 76回、9.7%
(スイスは39回 5%)
*1852-1857年に限れば、64パーティ中、60は英国)

データその2
1854−1865年(= アルプス黄金時代)の間、ヨーロッパ・アルプスの4000m峰のうち、英国人が初登頂をなしたのは、31、その他は4
4000m峰に限らない場合、槙有恒氏「私の山行」によると、140座のうち、70以上が英国人。

近代登山とは?

上記データその2では、アルプス黄金時代として1854−1865年に区切っていますが、この期間がいわゆるアルプスの初登攀がなされた黄金時代と言われています。
1865年=E. ウィンパーがマッターホルンに登頂した年、でわかりますが、では、1854年というのは?

答えは、アルフレッド・ウイルスによるヴェッターホルンの登頂の年です。

1786年のモンブラン登頂以降、1854年までにも多くの山が登られましたがそれらの多くは、植物採集やら氷河の研究、など、自然科学の研究を理由に登られており、純粋に楽しみ・スポーツとしての登山は、ウイルスが初めてだったからと言われているためです。
・・・輝く黄金時代って、なんにしても短いものですね。。

では、やっと本題に戻ります。

なぜ、イギリス人だったのでしょう?
考察編に続く~!


新米山研委員・わだこ記

2018年8月2日

徳本峠あれこれ

上高地ルートは、よくクラシックルートと言われ、一度は歩いてみたいという方も多いですよね!

釜トンネルができる前は、上高地に入るためには峠を越えるしかアクセスがありませんでした。
小島烏水もウエストンも歩いたこのルート。

私も2回だけ歩いたことがありますが、注目ポイント2点をご紹介します。

(1) 徳本峠小屋 (小屋のホームページもぜひご覧下さい→⭐︎) 

徳本峠までのつづら道をひーこら登りきると、迎えてくれる徳本峠小屋。
2010年にリニューアルされました。

こちらは、なんと、山研委員でもある、信州大学の土本先生が設計されたんです。
大正12年の建設当時から残る、古い部分と、新しくリニューアルされた部分が共存しています。




山小屋というと・・・、とかく、トイレがきれいでしたとか、ごはんがおいしかったですとか、利便性や新しさに目がいきがちですよね。
ですが、山小屋は、行き来する登山客の安全を守ってくれている存在。そして、そこにたたずむ歴史の証人でもあります。

徳本峠小屋は、歴史的な建造物としての価値を現代まで残しつつ、安全面・利便性、そして古い部分の良さを損なわないデザインが活きる、土本先生の配慮がすみずみまで行き届いた素敵な小屋です。
こうした徳本峠小屋のような試みは、日本全国でも珍しいのではないでしょうか。 
(土本先生は、今後、焼岳小屋のリニューアルにも携わられるのだとか。お話をまた記事にしたいと思っております。)

ちなみに、ウエストン祭のときは、ウエス「トン汁」、ということで、小屋の皆さんが豚汁をふるまってくださいました。
そうしたお心遣いもうれしいですよね。

時間がゆるせば、こちらの小屋に泊まって霞沢岳に足をのばしてみたいなぁ。。


(2) 「古道・徳本峠を守る人々」の登山道整備

島々から峠への登りまではしばらく、沢伝いの道が続き何度か沢を渡ります。
昨年(20176)歩いた時は、丸太が一本かかっているだけで、おっかなびっくり歩いた箇所に・・・
今年は立派な橋がかかっていて感動しました!





地元の人たちが作った「古道・徳本峠を守る人々」のメンバーの皆さんが道を整備してくださっているとのこと。
 「山と渓谷」20185月号にその記事が掲載されていました。

沢沿いの道に、橋の建材をヘリで運ぶわけにもいかないし、大変なことです
記事によると、島々ー明神の全長20 kmの道は、毎年のようにどこかが崩れ、その度に歩けなくなるといいます。徳本峠小屋や上高地の地元の方々のご尽力によって、この登山道は守られているのです。

徳本峠越えは、いつも登山者の安全を守ってくれている、山小屋も、登山道も、当たり前に存在しているわけではないということを思い出させてくれます。ぜひ、歩かれる際は、気に留めてみてください。


あ、そうそう、「徳本峠越えは、行程も長いから不安」・・というお声をよくうかがいます。
ハイ、結構長いです。(コースタイムで10時間程度、距離にして20km、高低差1400m程度)

こちらは6月のウエストン祭記念山行で島々から歩いた時の記録。
(なお、上高地から越える場合の方が、登りが少ない点、最初にがつんと登る点で、少し楽かと思われます。)




徳本峠越えは、エスケープルートがありませんし秋は日照時間が短くなることを考慮すると、特に日帰りの場合は、体力に自信のある方におすすめです。





新米山研委員・わだこ記

2018年7月31日

憧れのクラシックルート - 秋の徳本峠越えのお誘い

秋の徳本峠越えに参加しませんか?


土曜日に山研に1泊して翌日、上高地から徳本峠を越えて島々へ下ります。
例年6月に行っているウエストン祭の記念山行とは逆ルートです。島々からなら歩いたことがあるぞ、という方も新しい発見があるかも・・美しい紅葉を楽しみながら、皆さんで楽しく歩きましょう。

【日程】929日(土)~30日(日)

929日(土)15時までに上高地山岳研究所に集合
930日(日)早朝出発、徳本峠~島々(現地解散)

【費用】8000円(12食、傷害保険料含む)
【申込み】831日(金)までにE-mail  jac-sanken@jac.or.jp まで。
【定員】20名(先着順)

*30日の昼食は各自行動食をご持参ください。
*申込者に詳細案内を送ります。

山研委員一同

2018年7月25日

今日もやけました



最近、よく夕焼けします。
この時期に連日、美しい夕焼けを眺められるのは珍しいと思います。
しかしながら、ベストタイミングで山研を抜け出すのはなかなか難しいことでして、
やはり今日もちょっと遅れてしまいました。
「5分早かったらすごかったのに!」
と河童橋で知人に声かけられたりして。
でも、薄れゆく夕焼けだって十分きれいです。

さて、今週末にやってくるという台風12号。
あまり大暴れせずに通り過ぎてくれるとよいのですが・・・

元川

2018年7月21日

今日の穂高と焼岳とクサボタン

みなさま、暑中お見舞い申し上げます。
上高地でも良いお天気が続き、
日中の最高気温は30℃くらいまで上昇しています。

今日の穂高もご機嫌です。
梓川の上をトンボが飛んでいます。





河童橋と焼岳
梓川の水温は10℃くらいでしょうか。



香りを放つクサボタン。
早くも真夏の花が勢ぞろいです。



季節がどんどん進んでいるようですが、
はてさて今年は秋の到来も早いのでしょうか?

元川




2018年7月6日

ウエストンと嘉門次 / Walter Weston and Kamonji Kamijo

(Japanese original follows English summary)
Walter Weston and Kamonji Kamijo Walter Weston is very famous and referred as a father of modern mountaineering in Japan.We can see his relief in Kamikochi, near Taisho pond in memory of his contribution. So here is the question I came up to my mind: what did he do actually?A book titled “Walter Weston and Kamonji Kamijo” by Ms. Hisae Kamijo, a wife of Kamonji’s great-grandson’s tells me the answer. 
During his stay in Japan, Weston was very enthusiastic for climbing, and has been to a lot of mountains, mainly in North/South Japan Alps, sometimes with his wife.
He became the first climber to have reached some summit of Japanese mountains.

Before the Weston’s era, mountains had been a place for living or symbol of religion. He brought us an idea to climb mountains as a pleasure.

The book also talks about Kamijo, Kamonji, a hunter, and mountain guide who lived in Kamikochi.
It’s hard for me to explain who/how he was in English, but I must say he is the key player of “Golden Age” of Kamikochi.
Kamonji guided Weston to Hotaka, etc. and built a friendship with Weston.


Walter Weston was born in Darby in 1861 and had stayed in Japan three times in 1888-18941902-1905 and 1911-1915 as a missionary.

Before/Around when Weston came to Japan, in late nineteenth century, Ernesto Satow, British diplomat, published “A Handbook for Travellers in Central and Northern Japan” and some foreigners started to climb mountains in Japan.

ウォルター・ウエストンーーー。
「日本の近代登山の父」として、あまりにも有名な人ではありますが、どんな人だったのか、ご存知でない方も多いのではないでしょうか。
私も槍・穂高に登って日本アルプスを海外に紹介した人、というざっくりした認識しかありませんでした。
なぜ、このイギリス人のレリーフを上高地に飾り、毎年彼の名前を冠するイベント(ウエストン祭)を行うのか―――。

本日は、先日のウエストン祭にて、菊地俊朗氏が記念講演にてご紹介くださった「ウォルター・ウエストンと上條嘉門次」について、書きたいと思います。
著者は、上條久枝氏。言わずと知れた嘉門次小屋4代目女将さんです。


本書は、ウエストンの著書を通じて彼の足跡を丁寧にたどり、当時の歴史背景と登山事情を踏まえて、彼の功績や人となりをまとめており、私の疑問に答えてくれています。

さて、ウォルターウエストンは、1861年、イギリスのダービーに生まれ、宣教師として日本に3度滞在しました。(1888-18941902-19051911-1915年)

当時の日本では、アーネスト・サトウが「日本旅行案内」を発表して、いわゆる「お雇い外国人」が日本国内を旅したり登山を始めた頃でした。
イザべラ・バードの「日本奥地紀行」もすでに出版されています(1880年)。

ウエストンはヨーロッパでもモンブランに登頂するなどのクライマーで、日本でも山に登ることを楽しみにしていたようです。
滞在中は、「お、お仕事の方は大丈夫ですか?」と心配になるくらい、飛騨山脈を中心に、せっせと山に登り、旅をしました。
1回目の来日時には槍ヶ岳や穂高、富士山や針ノ木峠越え、2回目は南アルプスを中心に、3回目は夫人とともに奥穂高岳南稜ルートや劔岳、などなどなどなど。ウエストンが初登頂した日本の山・ルートはたくさんあります。

最初の来日から一度帰国した際は、「MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS」(日本アルプスの登山と探検)を英国で出版し、大きな話題を呼びました。

今の登山と違い、交通も登山道も装備も整っていないし、なんなら地図もありません(嘉門次が、ウエストンの直前に測量士を連れて前穂に登っています)
ウエストンはある程度日本語ができたようですが、それでも、不自由は多かったはず。彼の積極的な山行は、冒険的な側面も多分にあったことが感じとれます。

ウエストンは、「趣味/楽しみとしてrecreational」の登山を日本で始めた人、とよく説明されます。それ以前は、日本人にとっての山とは、信仰の対象、または生活の場でした。
たとえば、印象に残ったのが笠ヶ岳登山のくだり。彼は、槍ヶ岳から笠ヶ岳をみてその形に心惹かれ、どうしても登りたくなったようです。(播隆上人が笠から槍を見たのとちょうど逆ですね。)
地元の人にガイドを頼むと、「みんな雨乞いに出払っている」、「外国人が山に入るとたたられる」と何度も断られます。
あきらめきれないウエストンは翌年もトライして、再度地元の人と一悶着した後、3年越しに執念の登頂を果たします。
(そして、その「真相」については、ぜひ本書をご一読ください。)


そして、本書のもう一人の主役である、上高地が生んだスター、上條嘉門次。知れば知るほどに本当にかっこいいです・・・♡
嘉門次が現代に生きていたら、どんな登山をしていただろう?と想像が膨らみます。
嘉門次についての出版物はあまり多くないと思いますので、その意味でも本書は貴重な資料なのではないでしょうか。
嘉門次とウエストンという二人の山男の間の、国境を超えた友情についても描かれていますが、うるっとするものがありました。 

オススメの一冊です!

山研新米委員・わだこ記




2018年7月1日

梅雨明け?の上高地から季節のお便り

関東甲信地方が早くも梅雨明けしたとのことですが、
都会のみなさま、いかがお過ごしでしょうか。
「暑くてもう無理!」でしたら
涼みにいらっしゃいませんか?

上高地も信州の一角ではありますが、
お天気のうつろいは新潟や岐阜に近いので
梅雨明けしたと言ってもまだどことなく梅雨らしい雰囲気が残っています。

そして先日のまとまった雨で梓川はまだ少し増水気味です。
でもこのくらい深いと青さも一層際立ちますね。
さすがに気温が上がってきているので、
川遊びの人もちらほらと見られるようになりました。


今日はケショウヤナギの柳絮が多く舞っています。
鼻や目に入りそうです。




木の幹に絡みついたツルアジサイは、純白の花を咲かせています。


比較的お客さんの少ないこの時期は、
道端の草刈りも念入りに進められます。
道幅を確保するばかりでなく、
熊さんと人が不用意に出くわさないための緩衝帯にもなるわけです。


それでも今が盛りのニッコウキスゲやヤマオダマキは
刈らずに残してくれてありました。




山研周辺もすっかり草に覆われてきたので
数日前から草刈りを始めました。
イラクサを食草としているコヒオドシ(高山蝶) の幼虫を、
刈らないエリアのイラクサへと引っ越しさせながらの草刈りです。


昨年はこんなにたくさんいたかな?と思うほどの数です。
このうちのどれくらいが無事に蛹になってくれるでしょう。
・・・というより、そもそもどこで蛹になるつもりだ??

今夏はこの子たちの観察に夢中になりそうです。

管理人 元川


2018年6月24日

さんけんゴミ処理のススメ

山研ではご利用の会員の皆様にお一人一泊100円を生ゴミ処理代としていただいています。
しかしながら、すべてのゴミをお預かりすることはできません。
ビン・缶・ペットボトル・段ボールはお持ち帰りいただいています。


炊事で出たゴミについては山研で処理いたしますので、ゴミの分別にご協力ください。


上高地はいつも美しく、気の知れた仲間、家族と過ごす夜はこの上なく楽しく、貴重な時間です。だからこそ、上高地という特別な場所でのゴミの取り扱いについて考えてみましょう。

◎沢渡まで入るとゴミを捨てられる場所はありません。もちろん、上高地内もありません。
◎食材を宅配便で送られる場合、その量は多すぎていませんか?
   残った場合、持ち帰ることを考慮していますか?その段ボールについても考慮していますか?
◎お酒のビン・缶を持ち帰る用意をしていますか?
◎ゴミが少なくなるように、外装を外すなどの工夫をしてみましょう。


山研の使い方、正直、面倒に思われることも沢山あります。でも1~2回ご利用いただければ、楽しく過ごせるコツはすぐに掴めます。
ご不安に思われることがありましたら、お気軽に山研委員会または管理人にお問い合わせください。会員の皆様のご利用心からお待ちしています。

山研委員 山下

2018年6月22日

今日の明神岳

雨上がりの快晴。
植物たちも、サルたちも元気いっぱいです。
山研委員 山下

2018年6月21日

今日の穂高岳

西穂丸山から穂高連峰。だんだん晴れてきました。
山研委員 山下

2018年6月20日

スケッチノススメ-上高地の優雅な過ごし方

先日、上高地にいったときのことです。
山形大学OGKさんもスケッチクラブの活動でちょうど上高地にいらっしゃったので、お昼をご一緒させていただくことになりました。

訪ねたのは、白樺荘のレストラン。
洗練されたテラス席がまるで南仏リゾートのよう♡、と、通りかかるたびに思っていたのでいつか行ってみたかったのです。

パラソルの下で穂高を眺めながら、おいしいランチ。
あぁ、なんて贅沢なんでしょう。


食後、お話をしていたら、Kさんがおもむろに、画用紙と画材を取り出し、描いてみる?と。

「え」

小さい頃から、とにかく絵に苦手意識が強い私は、固まりました。

が、Kさんが下手でいいのよ!と背中を押してくださったので描いてみることに。
(なお、席を待っているお客さんがいないことを確認し、レストランの方に許可を得て長居しております)

まずは、自分が描きたいと思う範囲を決めます。大きくとらえて、どんどん描いちゃうのがコツ、とのこと。
なるほど。。とはいえ、分かっていても、ちまちまと細部にこだわってしまう。。

スケッチしている間は、とにかく無心になって山をよ~く観察しているので、今までにないくらい山とじっくり向き合えた気がしました。

で、何度かトライした後の私のスケッチです。Kさんにずいぶん助けていただいて形になりました。テーマは、「いつか歩いてみたいなジャンダルム」




紙とペンだけでできるので、次に山に行ったらやってみようかな?(色は下山してからつければOK!)

スケッチ、とっても楽しくておすすめです。だまされたと思ってやってみてね!

新米山研委員わだこ・記


2018年6月9日

今日の岳沢湿原〜レンゲツツジが満開です〜

岳沢湿原でレンゲツツジが開花しています。



今日は穂高も見えています。



新緑はもう少しで六百山の上部に到達。



今日はカモも見当たらず、水は静かに流れます。




足元にはマイヅルソウ。



初夏の雰囲気漂う、梅雨の晴れ間の上高地です。(元川)



2018年6月5日

第72回ウエストン祭に参加しました

6月3日に上高地でこれ以上にないというくらいの晴天のもと、第72回ウエストン祭が日本山岳会信濃支部主催で開催されました。参加してまいりましたので、その様子をご報告します。

日本山岳会・小林会長の挨拶に始まり、


安曇小学校の児童の皆さんが、恒例の「ウエストンの歌」「エーデルワイス」(リコーダー演奏)などを発表してくれました。澄んだ声が上高地に響きます。私がウエストン祭で一番楽しみにしている時間です。


今年の記念講演は、山岳ジャーナリストの菊地俊朗氏による「地元目線で見た上高地」。
「槍ヶ岳とともに 穂苅家三代と山荘物語」他、著書が多数あり、上高地の歴史や事情に精通していらっしゃいます。テーマの通り、江戸時代から現代の上高地が抱える問題など、多面的にお話しくださいました。




ところで、ウエストン祭に参加したら、ぜひ記念品を買いましょう!

手ぬぐいと木彫りのお花のブローチのセット(1000円)になっていて、会場や、朝は河童橋の近くで信濃支部のみなさんが販売してくださっています。

今年の手ぬぐいは、穂高。かっこいいデザインに一目惚れです。

木彫りのブローチも。一つ一つ手作りなんですって!今年のお花はトモエソウです。先輩の真似っこをして帽子につけてみました。とーーーってもお気に入り。帽子に黄色が映えるでしょう??



こちらが、式典会場にあるウエストンのレリーフ。




この記念品とともにいただいた紙にウエストン祭の起こりの説明が書いてありましたので、少しご紹介したいと思います。

1937年8月、最初のレリーフが、ウエストンの功績を讃えて日本山岳会の発案で取り付けられます。
しかし、その僅か5年後の1942年、太平洋戦争のさなかで敵対国イギリスの登山家の像は、軍の圧力により取り外しを余儀なくされました。12月の雪の中取り外され、その後は当時虎ノ門にあった山岳会ルームに保管されていましたが、1945年の東京大空襲で一部焼損してしまいました。
なんだか、当たり前のように存在しているので、いつもレリーフを素通りしてしまっていましたが・・・。受難の歴史があったのですね。
上高地の厳しい自然に耐え、いつも山へ向かう私たちを見守ってくれているウエストン。

そのレリーフが上高地に戻ったのは終戦後の1947年6月14日のことです。
そして、この復旧式が現在のウエストン祭の起こりなのだそうです。この時から、現在に到るまで毎年恒例となった記念講演が始まったとのこと。
現在の形で徳本峠越えに続き6月の第1日曜日の10時に碑前祭が行われるように定まったのは、奇しくもウエストン生誕からちょうど100年がたった1961年(第15回)のことでした。

なお、ここではかなりざっくりとご紹介しましたが、日本山岳会及び信濃支部のあゆみと重なる部分も多くあり大変興味深い内容です。ご関心のある方は、ぜひ信濃支部へお問い合わせいただければと思います。


新米山研委員 わだこ記

2018年6月4日

飛騨新道を歩いてきました

先月末5月29日に飛騨新道から蝶が岳に登ってきました。

松本平から三郷スカイライン、鍋冠林道、冷沢用水から登山道です。北アルプス1、2を争うマイナールートだと思っていましたが、道幅もあり、よく整備された素敵な登山道でした。北アルプスの稜線までこの楽ちんな傾斜で登れてしまうところはそうないと思います。

この飛騨新道は三郷小倉村から大滝山を経て上高地、そして飛騨へ向かう牛馬も通行できる峠道だったそうです。播隆上人もこの飛騨新道を経て槍ヶ岳に初登頂しています。ただ、飢饉や道の損傷などで使われていたのはたった26年ほどだそう。意外にも立派な道である理由はこのようなことらしいです。
薄曇りの一日。槍穂の稜線が綺麗でした。蝶が岳ヒュッテのトイレの「流さないでね」サインがとってもかわいかったのでパチリ。


私は車の都合で三股に下山してしまいましたが、正統派JAC会員の皆さんは、上高地に下山。さんけんに遊びに来てくださいね。

見習い山研委員 山下