以前ご紹介した「ウォルター・ウエストンと上條嘉門次」を読んでいた過程で疑問がわきました。
19世紀後半の近代登山の黎明期に英国人の活躍が目立つのは、なぜなのでしょう?なぜ、地元のスイスやオーストリアの人ではなかったのでしょう。
全く関係ないですが、飯豊に行きました |
かの島国はとても平らで、最高峰は1,344m(Ben Navis)です。
近代登山の黄金期をつくった人たちは、たいそうFlatな島から海を越えてヨーロッパアルプスを目指したことになります。
*本ポストは、下記の記事を参照しています。
参考文献
***著者に翻訳・引用の許可を得ています。
英国人の活躍
実際に、英国人が近代登山にどのように関わったのか、数字で見てみましょう。
データその1
1786-1878年の間のモンブラン登山:
1位 英国 448回、57.4%
2位 フランス 132回、16.9%
3位 アメリカ 76回、9.7%
(スイスは39回 5%)
(*1852-1857年に限れば、64パーティ中、60は英国)
データその2
1854−1865年(= アルプス黄金時代)の間、ヨーロッパ・アルプスの4000m峰のうち、英国人が初登頂をなしたのは、31、その他は4。
*4000m峰に限らない場合、槙有恒氏「私の山行」によると、140座のうち、70以上が英国人。
近代登山とは?
上記データその2では、アルプス黄金時代として1854−1865年に区切っていますが、この期間がいわゆるアルプスの初登攀がなされた黄金時代と言われています。
1865年=E. ウィンパーがマッターホルンに登頂した年、でわかりますが、では、1854年というのは?
答えは、アルフレッド・ウイルスによるヴェッターホルンの登頂の年です。
1786年のモンブラン登頂以降、1854年までにも多くの山が登られましたがそれらの多くは、植物採集やら氷河の研究、など、自然科学の研究を理由に登られており、純粋に楽しみ・スポーツとしての登山は、ウイルスが初めてだったからと言われているためです。
・・・輝く黄金時代って、なんにしても短いものですね。。
では、やっと本題に戻ります。
なぜ、イギリス人だったのでしょう?
考察編に続く~!
新米山研委員・わだこ記
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